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マンガワールド 其の51 わんぱっくコミック伝説

【目次】

わんぱっくコミック伝説 イベント概要

Naked Loft

2017年5月6日(土)13:00〜、新宿のNaked Loftにて、トークライブ「マンガワールド 其の51 わんぱっくコミック伝説」が開催された。わんぱっくコミックの漫画家・編集が集い、当時のエピソードを語る同窓会イベントである。主催のS.Shindohさんによると、『マドゥーラの翼』『リップルアイランド』の漫画家、もりけん先生の提案により実現したイベントのようだ。


『レイラ』を描かれたみなづき由宇先生は、遠方住まいなのと子育ての都合上、参加見送り。今回のイベントに参加された、わんコミ関係者の方々は以下の通りである。

わんぱっくコミック伝説出演者一覧

【漫画家】

もりけん(マドゥーラの翼/リップルアイランド)
かたおか徹治(ファミ魂ウルフ)
リッキー谷内(ラジコン入門講座/ブキミくん)
すずおやすき(バナナランド/ポケットザウルス)
しまざき真二(ラジコン風雲録/だぶだぶ倶楽部)
愛沢ひろし(ガーディック外伝/封印剣ザニマ)

【原作】

野村宏平(ファミ魂ウルフ/平宏(たいらひろし)のPNで、ラジコン風雲録の原作を担当)

【編集】

山下幸雄(シュラーフ山下/初代編集長)
小池一郎(ドクトル小池)
ゾンビ カサイ(秋田書店のファミコンチャンピオンの編集もされていた方)
スギモト ケンショウ(最年少/わんコミ末期に関わった)


みなづき先生が来られないのと、先に入っていた別の用事のため、参加するか曖昧なまま前売券を購入した私。ところが、みなづき先生がコメントとイラスト提供という形で間接的に参加する事を知らされ、且つ、先生から直々にレポートを頼まれたこともあって、ならばと直前で参加を決めたのだった。逃したら2度とないくらい珍しいイベント。無茶なスケジュールを強行して、参加してよかったと、終わった今感じている。


さて、5月6日当日。先約を志半ばで強引に切り上げ、Naked Loftに着いたのが、開演時間のちょうど13:00。ドア越しに、開演を知らせる拍手が漏れ聞こえた。会場内はこじんまりとしたバーで、(最終的に)そこにわんコミ関係者が11人、客が私含め25人前後、それから運営スタッフの面々が収まり、殆ど満員状態。皆酒を飲みながらまったりトークを聞いている中、私は空いてた一番後ろの席に陣取りノートを広げ、ミミズがのたうった字で、トーク内容を滅茶苦茶に書き写し続けた。

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わんぱっくコミック伝説 イベントの流れ

開場12:00 開演13:00

【第1部】13:00〜14:00
出演者自己紹介

山下幸雄編集長トーク わんコミ創刊から休刊まで
もりけん先生トーク 漫画家になるまでと、わんコミの思い出話
かたおか徹治先生トーク わんコミの思い出話
ゾンビ カサイさんトーク かたおか先生と八丈島に取材に行った話
みなづき由宇先生コメント&イラスト紹介

【休憩】14:00〜14:30

【第2部】14:30〜15:37
ライブドローイング(プロジェクタ上で、絵を描く様子を投影)
それをバックに、第1部のトーク続き

すずおやすき先生トーク わんコミの思い出、乱丸先生との共同生活の事
リッキー谷内先生トーク 平清盛の漫画を2ヶ月で200ページ描いた思い出など
愛沢ひろし先生トーク 松本零士アシスタント時代の思い出
ドクトル小池さんトーク ファミコン突撃隊の話
しまざき真二先生一言 あまり徹夜はしなかった
野村宏平さんトーク 当時の思い出話
スギモト ケンショウさんトーク 当時の思い出話

質問コーナー

抽選会

出演者退場
チャリティオークション


基本的に、わんコミ関係者が順々に当時の思い出を語り、MCがそれに合わせて、ネットの検索画面や各々持ち寄った思い出の品を、スクリーンに映していく形式である。(うちのサイトもチラチラ検索に引っかかっていたが、黙っていた)

生き証人が11人も集まった事で、初めて聞く、二度と聞けなそうな話が色々出た。ただうちは、あくまでレイラのファンサイトだ。大部分は割愛し、みなづき先生絡みと、重要と感じた部分だけを抜粋して紹介したい。尚、必死こいてノートに書き殴ったものをまとめた関係上、実際の表現とは異なる部分がある事を、あらかじめご了承ください。

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わんぱっくコミック創刊秘話

わんぱっくコミック初代編集長 山下幸雄さんの話

山下幸雄

「わんぱっくコミックでは編集の立場から関わっていたが、実は漫画家でデビューしている。篠原幸雄名義で、作品は『悪魔の水』(週刊少年ジャンプ/1970年)。篠原幸雄・山下幸雄どちらも本名で、結婚して養子に入ったため、苗字が変った」


「漫画家は7年ぐらいやっていた。比較的社会派な漫画を描いていて、告発モノが多かった。秋田書店で『負けずの大五』(週刊少年チャンピオン/1973年〜1974年)という医療漫画を描いたところ、ちょうど始まったばかりの手塚治虫の『ブラックジャック』とバッティングしてしまい、10回で連載が終わってしまった」


「その後も漫画の仕事もやっていたが、デザインの仕事が段々増えていった。両方の仕事をやっていた時に描いたのが『ガッチャマンU』(てれびくん/1978年〜1979年)で、本格的に漫画を描いたのは、これが最後となった」


「その後、銀英社(雑誌『ファンロード』を出した会社)の立ち上げのメンバー(デザイナー)として参加した。そのスタッフの中に開田裕治さんという方がいた。開田さんが『テレビランド』という、怪獣モノや特撮モノを扱うこども向け雑誌で仕事をした時、デザイナーが少なかったようで、私を紹介してくれた。すると編集長が私の仕事を気に入ってくれて、以後、テレビランドの表紙デザインをするようになった」


「『テレビランドわんぱっく』という単行本シリーズが、テレビランドの中にあった。「『なぞなぞ1111問』というのがあるが、やる人がいないので、お前やらないか」と声をかけられ、これが企画・編集・デザイン通してやった最初の仕事となった。これで当時『仮面ライダー怪人図鑑』くらいしかなく、実質死んでいたテレビランドわんぱっくシリーズが復活。続けて色んな事ができないかとなった」


「当時、電子ゲームっていうのが流行っていたので、『電子ゲーム大図鑑』を作った。ゲームをネタに一体どんな本ができるんだとなり、攻略法を一つ一つ丁寧に解説していけば本になるんじゃないかっていう事で作った本。その時、まだゲームの本なんて無い時代。そこそこ売れて、テレビランドわんぱっくシリーズが段々生き返ってきた」


「で、調子に乗って「電子ゲームで売れたんだから、テレビゲームでも売れるんじゃないの」となり、『テレビゲーム大図鑑』を作った。ATARIとか、ぴゅう太とか集めた本。ところがこれが売れない。何故売れなかったかというと、本を作って発行するまでの間に、ファミコンが出たから。ファミコンが出て売れてるのに、ファミコンの載ってない本なんて売れるワケがない」


「悔しくて仕様が無くて、「ファミコンだけで本作らせてくれ」となり、作ったのが『ファミリーコンピュータ大図鑑』て本。これがものすごい売れた。ベストセラーの本は、実際には本屋に置いてない事を知った。本屋に入荷しても、即なくなる。本屋に入った時にカウンターに積んであったのが、(書店内を)ぐるーっと回って出てきたら、もうなくなってた(スタッフの体験談)。徳間書店の注文の電話が鳴り止まないって状態になった。シリーズとして、何作も出した」


「徳間の中では、それなりの実績を作れたと思ったので、「ファミコンの雑誌を出したい」という企画を出した。ところが徳間書店の中で、もう一つ同じ企画を出してきたところがある。それがテクノポリス編集部。コンピューターゲームの雑誌だった。両方から企画が上がり、どちらも引かないので、社長決裁となった。徳間社長が「コンピューターなんだから、コンピューターやってる方にやらせたら」となり、テクノポリス編集部に持っていかれてしまった。それが『ファミリーコンピュータMagazine』になる」


「企画は負けてしまったが、その後もファミコン関係のものを作り続けた。そんな中、ゲームの世界はキャラクターがいて、世界観があって、ストーリーがあり、これは漫画に似ている。ファミコンで漫画やったら、子ども達は読んでくれるんじゃないかと思うようになり、ファミコン漫画を専門に作りたいよと話をした。これがわんコミになる。『テレビランドわんぱっく』のわんぱっくを取って、『わんぱっくコミック』となった。これが創刊までの話」

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わんぱっくコミック 創刊号から休刊まで

わんぱっくコミック初代編集長 山下幸雄さんの話

山下幸雄

「1985年の11月に1号を出した。まだ月刊ではなく、少年キャプテンの増刊号って形で。一気に10万部出た。それですぐ(続きを)出せとなり、2号目は86年の1月に出てる。間殆ど空き無し。3号目までは隔月で出て、1986年5月号(4号目)から月刊化になる。で、1988年の12月で休刊になる」


10万の壁がなかなか越えられなかった。ただ他で出してる雑誌で、10万の壁越えるものなんて本当ない。同じ編集部から出てるキャプテンで5万前後。だから雑誌単独としては良い成績だった」


わんぱっくコミックは、沢山単行本出した。ものすごく出した。なかなか売れなかった。雑誌は買ってくれるのに。この後スーパーファミコンも出るわけで、このまま続けていれば、恐らく徳間書店はエラい損したんじゃないかと思ってる」


「ゲームコミックっていうのは、わんぱっくコミックが最初。コロコロもボンボンも、それほど積極的にゲームコミックを取り上げてなかった。で、我々が終わった後、コロコロが沢田ユキオ先生の『スーパーマリオ』そっくり持っていって、コロコロでずーっとトップを走っていたから、「なんて奴だ」とは思う。(会場爆笑)ただ、我々がやってた事は間違ってなかったと、コロコロが証明してくれてるんだと思う

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もりけん先生 原稿〆切を語る

漫画の〆切の話に及んで
「ボクは愛知県江南市のサン電子で、サラリーマン漫画家をやっていたので、(かたおか先生が追い込みでそうしたように)タコ部屋で合宿気分で原稿描き、すごい羨ましいなー、参加したかったなーと思いましたけど。休刊で席を設けてもらった時に、「最後の最後まで一日も〆切を破らなかったのは、もりけん先生だけですよ」って編集の方に言われて。遠く愛知の地から原稿を送ってるんですけど、郵便事故があったらと思うと、気が気じゃないから、必ず〆切前に入れてたんですよ」


「そこでみなづき由宇先生が、「一日二日遅れるぐらいというか、もう二日三日遅れても大丈夫なように〆切切ってあるから、逆にギリギリにやったり、落とす直前ぐらいにしておくと、編集者さんが「大丈夫か?」って菓子折り持ってくるから、その方が楽だよ」って、悪い裏事情を教えてもらいまして。そんな事愛知県でやったら死んじゃうよと。在京はいいなーと。」

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みなづき由宇先生 当時の思い出を語る(メールにて)

(前略)「もりけん先生には、ゲームコミック『マドゥーラの翼』執筆のための、名古屋サン電子での取材。東京でのサンソフトゲームイベントでのサイン会でもご一緒させていただき、本当にありがとうございました。サインを描いている最中に、私の小指が立っていたとご指摘を受けました。自分では全く無意識でしたが」


「わんコミ廃刊後、私は「ものた りぬ」とPNを変え、コミックジャンボという美少女コミック誌でお仕事をすることになりましたが、その後もわんコミファンの方々からお便りが寄せられ、「先生がHな漫画を描いてショックを受けました」という感想をいただく事もあるものの、「今も応援しています」というありがたいお言葉をいただいておりまして、ファンの皆様には大変感謝しております」


「最近は任天堂のファミコンクラシックミニが好調だったこともあり、なつかしのファミコンゲームが再評価されて、『メトロイド』他、関連漫画を描いていた作家として嬉しいかぎりです。今後もファミコンゲーム、そしてわんコミの作家さんたちが描かれた漫画が、多くの皆様に愛され続けるのを願っております」

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乱丸先生 消息不明

わんぱっくコミックといえば、絶対外せない作家、それが乱丸先生である。丸基調の無駄の無い線。ギャグとシリアスの緩急が良く、読後しばらくも、心にとどまり続ける熱い物語。描いたリンクは何度もわんコミの表紙ど真ん中を飾り、単行本は屈指のプレミア化。未だに好きなファンは多いだろう。


わんぱっくコミック伝説を開催するにあたり、主催のS.Shindohさんは、当然乱丸先生を探した。しかし見つからなかったという。

そんな中、今回の出演者の一人、すずおやすき先生の口からスゴい情報が。すずお先生は当時、乱丸先生と、こばやし将先生と3人で、4年間も同棲していたと言うのだ。証拠とばかりに、プロジェクタで、乱丸先生の写ったスライドを投影。長髪でメガネをかけた男性が、スクリーンに浮かんだ。他にも漫画家同士で楽しそうに肩を組んだスライドも。

ところが、である。そんな長期に渡る共同生活を過ごした仲間ですら、乱丸先生の消息は分からないと言う。最も、30年という時間は、消息不明になるには十分な時間ではあるが・・・。


今回の件は、かえって乱丸先生への興味をかき立てられるエピソードとして、心に残った。私個人としては、乱丸先生といえば『スペースハンター』のアルティアナも忘れ難い。いつか見つかって、アルティアナの絵を披露してもらいたいものである。

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質問コーナー

ゲームをコミカライズする時、ロイヤリティは払っていたのですか

山下編集長 ロイヤリティの問題は、雑誌掲載分は払っておりません。「宣伝」という事で。単行本はロイヤリティかかる。


もりけん先生に質問です。みなづき由宇先生と乱丸先生がそれぞれ描かれた『マドゥーラの翼』への感想があれば、お聞かせ下さい

※私がした質問です

もりけん 同じキャラクター描いても別のものになるのが、アニメと違って漫画の良いとこだなって。描いた人の個性殺さず描いてOKってところが、漫画のすごく良いとこだなと思うので。自分の絵と違えば違うほど、新しい発見があって、新しい面が出て。そういうのが大好きなので、全然ボクの絵と違うのを描いてくれ!って、思ってました。だからそれぞれの作家さんの個性が出てるのを見るのが、すごい大好きです。宝物ですね。


【余談】帰宅後気付いた事。『ファミコン突撃隊』の内容が真実であれば、当時山下編集長は、レイラ開発中のdB-SOFTへ取材へ行っていたハズ。その時の話も訊くべきだった!

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トーク以外のコーナー

【ライブドローイング】

もりけん『マドゥーラの翼/ルシア』
愛沢ひろし『オリジナル?』
もりけん『メルヘンヴェール/湖の国の王子』
※かたおか先生は隅っこの見えないところでウルフを描いてました

シャイな漫画家さんばかりなのか、積極的に見せてくれたのは、もりけん先生のみ。
もりけん先生、迷い無く、描くのすごく速い!〆切厳守は伊達じゃない。ルシアは1分足らず。色付けまでしたメルヘンヴェールも、即完成だった。


【抽選会】

対象:イベント中、食事?を注文した人(抽選券が配られた)
品物:ライブドローイングで描いたもの・出演者寄せ書き

てっきり来た客全員が対象かと思っていた。察するに、開場してから開演までの間に、そういう説明があったようだ。休憩時間中にでも、再度アナウンスが欲しかった。


【チャリティオークション】

この日のために、あらかじめ描かれた色紙が出品されました。

みなづき由宇『レイラ&ダークダンジョン』
かたおか徹治『ファミ魂ウルフ』
もりけん『マドゥーラの翼』『リップルアイランド』

落札された方々、おめでとうございます。

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最後に

わんぱっくコミック関係者集合写真

〆の言葉で、山下編集長が「また会える事を楽しみにして、次回があると嬉しいと思います」と述べられた。社交辞令とも取れるが、実際見た感じ、山下編集長・もりけん先生・かたおか先生などはやる気がありそうで、もしかしたら?と期待が芽生えた。


わんぱっくコミック。当時一気に10万部売った雑誌とはいえ、現在中古市場に出回る事は殆どない。皆処分してしまったのだろう。今でも憶えていて、話題に出すのは、相当なマニアに限定される印象を受ける。その中で、イベントにまで足を運ぶ人間となると本当に限られるわけで、恐らく承知の上でイベントを開催された、主催のS.Shindohさんの英断に、惜しみない賛辞を送りたい。


もし第2回があるならば、今回叶わなかった、みなづき先生と、乱丸先生の登場に期待したい。(一気にハードル上昇)

それが無理なら、今回は多くの関係者に短めに思い出話を聞く形式だったから、次回は個々の作品を深く見ていって、先生に解説してもらうイベントになれば楽しいと思う。例えば、プロジェクタでマドゥーラの漫画を投影して、横でもりけん先生が細々解説や当時のエピソードを語ったりとか。想像しただけで楽しくなってきた。

以上、2017年のゴールデンウィークに開催されたイベント、「マンガワールド 其の51 わんぱっくコミック伝説」レポートでした。

2017年5月10日

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