1. HOME
  2. HP開設にまつわる私と周囲の変遷

HP開設にまつわる私と周囲の変遷

【目次】

1990年代後半〜2000年代初頭 レトロゲーム再評価時代

ネットが普及し、PCを個人所有するのが当たり前になった1990年代後半から、2000年代初め頃。自分の趣味を世に発信する手段として、「個人HP」(Webサイト)が雨後の筍のように次々誕生。レトロゲームを扱う個人HPも沢山ありました。クソゲーを面白おかしく叩くサイト、攻略サイト、プレイ日記サイト、コレクション紹介サイト・・・。「共通の趣味」という一点により、遠く離れた顔も知らない同志が繋がる。当時はこれが、まだ新鮮だった時代。ファンサイトの掲示板、匿名掲示板には多数の書き込みがあり、時にはゲームの関係者・開発者本人が書き込みする例まであり、ネットのレトロゲーム界は活気に満ち溢れていました。


ネット以外の世相はどうだったでしょうか。時系列がぼんやりしてるので、調べながら思い出すと・・・・・・。そうそう、伊集院光の『GameWave』(1998年4月2日 - 2002年9月26日)がTV放送されてました。アンタッチャブルを呼んで馬鹿をやる、なかなか愉快なゲーム情報番組でしたね。レトロゲームに特化した番組ではなかった気がしますが、時々紹介されるファミコンネタが、特に私の関心を引きました。あの番組がどの程度、レトロゲーム復興に貢献したかは、分かりません。


レトロゲームの中古価格に強い影響を与え、再評価に一役買ったとされる雑誌『ユーズド・ゲームズ』もこの頃刊行されていましたが、私はこれ馴染み無し。『GAMESIDE』と誌名を変えた2006年以降しか購読してません。


ブックオフを初めとするリサイクルショップの壁一面に、懐かしのゲームソフトが隙間なく陳列され、結構なお値段で販売され始めたのも、この頃からかなぁ?2000年頃にレアでも何でもないファミコンのキャラゲーを1,500円前後で購入した記憶がある。

ブームと呼べるほどの勢いがあったかは分かりませんが、ファミコン再評価の風潮は、ネット外でも存在していたと思われます。


私自身もこの時代、レトロゲームを遊び倒し、サイト観覧に持て余していた時間の多くを捧げた一人でした。PS2やXBOXを尻目に、ファミコンやCD-ROM2の安めの中古ソフトを買い漁って、あれこれクリアしました。私がこの時代こうなったきっかけ。自由に使える時間とお金が増えた。友人にツインファミコンをもらった。中古屋でのレトロゲーム販売が目立っていた。ネットに面白い個人HPが沢山あった。色々です。

ネットでは掲示板に書き込んだりはしない、所謂ROM勢でしたが、レトロゲーム文化の沼に溺れ、自然と「自分もHPを立ち上げたい」と思うようになっていきました。友人の一人が、そんな私にくれたのが、『ホームページ・ビルダー』。HTMLタグを知らない素人でも、Webサイトを作成できるソフトですね。ところが多趣味なのと飽きっぽいのが災いして、音楽関連のサイトを作りかけた挙句、Webにアップする事なく頓挫したのでした。ホームページ・ビルダー特有の「ダサさ」に拒否反応があったのも事実です。

このページの先頭へ

2004年〜2005年 GCCX & ファミコンミニの流行とその影響

ゲームセンターCX放送開始が2003年11月。大きく注目されるようになったのは、「有野の挑戦」が本格的に始まったシーズン2からでしょう。『アトランチスの謎』『プリンス・オブ・ペルシャ』『マリオ3』なんかに挑戦してた、2004年秋〜2005年春頃です。「ゲーム実況」という新たな楽しみを示した同番組は、超人気番組に。内容がレトロゲームに特化していたのもあって、ゲームセンターCXは、多くのレトロゲームファンの話題の中心となりました。影響は、ディープなレトロゲーマーに留まらず、かつてファミコンを楽しんでいたライト層、ファミコン世代でない若い層まで取り込む広範囲なものでした。


また、2004年には、ゲームボーイアドバンス用ソフト「ファミコンミニ」の発売があり、これもレトロゲームブームに火をつけたと言われてますね。アドバンスで、ファミコンの『悪魔城ドラキュラ』なんかが遊べた、アレです。どの店でも『マリオ』が売り切れ、難しい『マリオ2』ばかり売れ残ってた思い出。


さて、ゲームセンターCXが流行りだし、ファミコンミニが発売された頃、私が好んで巡回していたレトロゲーム関連の個人HPはどうしていたか?多くは停滞、放置、緩やかな更新に留まっておりました。ネタが尽きた、語り尽くした、熱が冷めた、リアルが忙しくなった。理由は様々でしょう。「既存の」サイトにおいては、ゲームセンターCXの熱狂に乗じて大幅更新!中身充実!という傾向は、目立ってなかった印象です。

このページの先頭へ

2006年〜2008年 ブログ時代

2000年代中頃といえば、個人HPに代わって、手軽に日記や記事を投稿できる「ブログ」が大流行しました。既存のレトロゲーム関連サイトでは、この機にブログに移行したり、個人HPとブログを併用する動きも見られました。

私も大分遅れる事2006年8月にブログを開設。欲を言えば、個人HPをやりたかった。自分が巡回してたような個人HPを。しかし、いかんせん知識がない。やむを得ずの手段としてのブログでした。


で、最初の記事何にしよう?となり、ファミコンの『レイラ』の攻略記事に決めたのです。実はブログ開設段階では、何をテーマにするか曖昧で、たまたま最初にレイラの記事を投稿したもんだから、じゃあ統一感持たせようとゲームブログになった背景があります。例えば最初の記事が音楽の記事であったなら、音楽ブログになり、ひいては「アステリアのレイラ」立ち上げもなかった可能性は充分あります。


ブログでは色んなゲームの記事を投稿して、ぼちぼち観覧されました。レイラの記事は10幾つか投稿して、それなりに見られたようです。ノーヒントでは、とてもクリア出来ないゲームですから、まぁ調べますよね。しかし世は、とっくに「ネット上での交流」が新鮮さを失っていた時代。コメント欄でのやり取りは、ほぼ0だったと記憶しています。

このページの先頭へ

2009年 個人HP「アステリアのレイラ」開設

2008年初春頃だったろうか。念願だったHP作成の知識と技術を遂に習得。かねてからブログのレイラ記事を、見易い形式に改めたいと考えていた私は、レイラの独立サイト制作に着手したのでした。・・・が、経験不足なのと、怠け癖が出たり気が散ったりで、「いつ公開するの」状態に。


そんな停滞気味だったHP制作に、発破をかける事件が、2009年4月に発生。ゲームセンターCXで、レイラが挑戦ソフトに決まったのである!ゲームセンターCXの公式HPで告知されるや否や、攻略記事を載せていた私のブログのアクセスカウンターが、通常の4倍回る日が続きました。ゲームセンターCXの影響力、恐るべし。


既に第11シーズン。正直、この頃のゲームセンターCXはマンネリ気味で、かつての勢いはありませんでした。加えて、ニコニコ動画で、素人(一般人)による「ゲーム実況動画」「ゲームプレイ動画」「TAS動画」に注目が集まっていた頃でもありました。そういう状況でも、この反応の多さ。機を逸してはいけないとエンジンをかけ、ゲームセンターCXでレイラが放送された5日後の2009年5月2日に、「アステリアのレイラ」は開設されたのでした。個人HPは疎か、流行はブログからTwitterへ移行していた時代です。

このページの先頭へ

2009年〜2017年 個人HP8年運営して

現在2017年12月。HP開設から8年以上が経過しました。今やFacebookやTwitterすら廃れ始め、個人HPなどは沈静化どころの話ではない。「更新停止」は当たり前。「閉鎖」、サービス終了に伴う「自然消滅」、「コンテンツ大幅縮小」・・・。関係者インタビューを載せてたサイト、私がデザインを参考にしたサイト。たくさん姿を消しました。


私も1990年代後半から、2000年代初め頃にHPを開設したかった。度々残念に思う事です。その頃に開設していれば、労せずして得られるものは多かっただろうから。ファン同士の活気ある交流。もしかしたら制作者の方々とのコンタクトも。・・・あーでも1点引っかかる。2013年だかにレトロゲームマニアばかりが集う同人イベントにレイラで参加した時、まるで反応なかったのが。あの場で反応無いのはヤバい。結局いつHP開設しようが、世間のレイラに対する興味の薄さは不変なのかもしれません。マジメな話、レイラのファンって、私以外世界に5人くらいしかいないんじゃ・・・。


まとめです。

1990年代後半から2000年代初め頃に活気のあったレトロゲーム関係の個人HP。私もやりたかったものの、スキル不足で叶いませんでした。

代わる手段のブログを始めた2006年8月には、既に個人HPの多くは沈静化。ゲームセンターCXやファミコンミニの人気は、レトロゲーム人気とブログ新設・乗り換えの牽引力になっても、既存の個人HPの盛り返しにはなってないようでした。

交流の場がニコニコ動画・Twitterへと移行していた2009年5月、やっと私が個人HPを開設。

HP開設から8年以上経った今、他の個人HPの多くは停止、閉鎖、消滅。デビューの遅れた「アステリアのレイラ」は、のこされ島状態となったのでした。

レイラのらくがき

2017年12月20日

このページの先頭へ

HOME

inserted by FC2 system